Pada II のアーサナに関する3つの経典②
II.47 プラヤトナ シャイティリヤナンタ サマパッティビヤム
2番目の経典は、「プラヤトナ シャイティリヤナンタ サマ パティビヤム」です。これについては言葉の語源を探るのではなく、経典をよりよく理解するために、いくつかの言葉を定義してみましょう。
プラヤトナという言葉の語源は努力を意味するヤトナです。シャイティリヤはシャンティ、つまり平和にルーツを持っています。アナンタこれは蛇のアディシェシャと、その中にある無限のエネルギー、つまり蛇のような精神の性質を指します。
この経典には常に、人々が自分自身をあまり真剣に考えないようにする力があると思います。それは、すべてのもの(人生など、「それ」が何であれ)は決して終わることがないので、私たちが努力の強さを緩め、内なる無限のエネルギーについて瞑想することを覚えておく必要があることを意味します。
特に特定の姿勢を達成することに集中している場合、ヨガは目標志向のように見えることがあります。ポーズを使って自分自身を判断してしまうと、ヨガの本質を完全に見逃してしまいます。さて、私たちがペースを緩め、今、今いる自分自身を受け入れることを学ぶことができれば、自分自身に対して、そしてできれば他の人に対しても、より寛容になることを学ぶことができます。速度を落として力を緩め、ドライブを楽しみましょう。
Pada II のアーサナに関する3つの経典③
II.48 タト ドヴァンドヴァナビガタハ
3番目の経典は、「タト ドヴァンドヴァナビガタハ」です。この経典は、私たちが真剣に全力を尽くして修行するとき、必要な条件はないと考えています。年齢、出身地、性別、体格、貧富などは関係なく、真剣に修行していれば、そんなことは問題になりません。
これはヨガが不可能を可能にするという意味だと推測しています。これを読んでいる人なら誰しも、自分には絶対にできないと思っていたヨガのポーズがあり、今ではそれを実践している、言い換えれば、不可能が可能になったことを知っています。
特にヨガをするには健康でなくてはいけないと人々が考えている今日、最も勇気づけられる経典の1つです。ヨガを練習するのに前提条件はありません。ただヨガをするだけなのです。